200年前に八王子に落下した隕石の謎

2018-7-24 7:33 管理者:  Mashi

   今から200 年前の1817年、現在の八王子市周辺に多数の隕石(隕石雨、隕石シャワ−)が落下しました。この八王子隕石については、当時の日記や随筆など22の古文書に多くの記録が残されています。八王子市の公式ホ−ムペ−ジにも八王子隕石に関する詳細な解説が載っています。では、200年前の八王子にタイムスリップしてみましょう。


   1817年12月29 日(旧暦の文化14年11月22日)の昼間、午後2時頃のことでした。火の玉が、江戸の北の空を西方向へ飛ぶのをたくさんの江戸の人々が目撃しました。浮世絵師の岳亭春信も、鎧の渡し(現在の東京都中央区鎧橋)から目撃した様子を「火の玉空中をとびし事」として随筆に書いています。江戸では大騒ぎとなり、流言飛語が飛び交ったそうです。そして火の玉は、江戸の西方、八王子に多数落下しました。


   落下地点は、現在の中央線日野駅、八王子駅そして京王線の多摩センタ−駅、堀之内駅に囲まれた10km四方に多数落ちたことが、16の古文書に記録されています。現在の八王子市上野町の百姓忠七の麦畑に落ちたものが最大で、長さ約1メ−トル、縦横約各20僂發△辰燭修Δ任后平淹仮函法p╂个稜吠劼蓮地元の名主から江戸幕府に届けられ、天文方(東京大学の前身)が調べたそうです。しかし当時は隕石という概念がなく、火山噴火の石だとか、幕府の火薬庫が爆発したとか言われたそうですが、結局解明できず、多数あったはずの隕石も散逸し、失われてしまいました。


   事態が動いたのはそれから約130年後、1950年代のことです。京都の土御門家の文書調査中に「隕石之事」と書かれた紙包が発見され、中に小さな隕石の破片と「八王子隕石之事」と書かれた書付が入っていました。八王子隕石は、現在国立科学博物館に所蔵されているこの破片しか発見されていません。隕石は0.1gの小片のため、これまでの技術では微量な隕石小片を分析することができませんでした。


   八王子隕石が京都で発見されてからさらに約70年。最近、国立極地研究所、国立科学博物館、九州大学などの研究者達は、小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰った粒子の分析にも用いられた、最新の技術で八王子隕石の分析を行いました。隕石の小片(116.1mg)から、20.0mg を割りとり、研磨薄片を作成し、光学顕微鏡による組織観察および電子線マイクロアナライザによる鉱物組成の分析を行いました。さらにX 線回折装置による分析や希ガスの分析も行いました。


   その結果、普通コンドライトと呼ばれる種類で、様々な解析から、曽根隕石(1866年に京都府に落下した17kgの隕石。国立科学博物館所蔵)との明確な違いは見られませんでした。たまたま同じタイプの隕石だったのか、保存されていたのは八王子隕石ではなく曽根隕石だったのか明確にできませんでした。


   謎は解明できませんでしたが、八王子市では旧家、寺社など、どこかに隕石が保存されている可能性を考え、今も情報提供を呼びかけています。200年前の出来事、ロマンが生きている街です。私ももう38年住んでいます。(by Mashi)


参考資料:1)八王子市公式ホ−ムペ−ジ、「八王子隕石落下200年」、2017年2月13日。2)国立極地研究所プレスリリース、「八王子隕石とされる隕石を初めて詳細に分析」、2017年12月28日
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200年前に八王子に落下した隕石
200年前に八王子に落下した隕石