霊長類の中で、ヒトはなぜ嗅覚が退化したのか

2018-5-16 7:22 管理者:  Mashi

   匂いの受容は、鼻腔の嗅上皮にある嗅覚受容体に匂い分子が結合することにより始まります。それぞれの動物が持つ嗅覚受容体の遺伝子数は、その動物の嗅ぎ分ける能力を反映していると考えられます。しかしながら長い時間の中で、嗅覚受容体の遺伝子数は変化していきます。たとえば、海に進出したヘビ(ウミヘビ)やほ乳類(クジラ)では、嗅覚の必要性が減弱するため、進化の過程で嗅覚受容体の遺伝子数は減少します(コラム2015-3-12, 2015-6-1)。


   これまでに調べられた哺乳類の多くは800~1200個の嗅覚受容体遺伝子を持つ(コラム2013-12-3, 2014-8-13)のに対し、ヒトやチンパンジー、ニホンザルではその数は300~400個程度です。ヒトを含む霊長類で嗅覚受容体遺伝子数が減少したのは、霊長類が視覚に依存した動物であり、嗅覚にはあまり依存していないためだと考えられてきました。しかし、霊長類の進化過程において嗅覚系の退化がいつどのようにして起きたかはよくわかっていません。


   最近、東京大学大学院農学生命科学研究科をはじめとする研究グループは、24種類の霊長類について、嗅覚受容体遺伝子を詳細に比較し、嗅覚受容体遺伝子が霊長類の中で退化していった過程を明らかにしました。霊長類の中でも鼻腔の曲がったサルである曲鼻猿類(キツネザル、ロリスなど)は、鼻腔の真っすぐなサルである直鼻猿類(メガネザル、チンパンジ−、ヒトなど)と比較して、約2倍の嗅覚受容体遺伝子を持っていることがわかりました(図参照)。


   霊長類は鼻の形態により曲鼻猿類と直鼻猿類の2つのグループに分けられますが、曲鼻猿類はおよそ700〜800個の嗅覚受容体遺伝子を持つのに対して、直鼻猿類ではおよそ半分の200〜400個程度です。つまり、霊長類の中では鼻の利くサル(キツネザルなどの曲鼻猿類)と嗅覚の劣るサル(メガネザルなどの直鼻猿類)がいることになります。研究者達が嗅覚受容体遺伝子数の種ごとの違いを説明する要因を探索したところ、鼻の形態の違いを統計的に除去すると、各サルの活動パターンと色覚系の違いは嗅覚受容体遺伝子数を有意に説明しないことがわかりました。つまり、鼻の形が嗅覚受容体遺伝子数の多寡と関係があると推察されたのです。


   次に研究者達は、霊長類の進化過程において嗅覚受容体遺伝子がどのくらいの速さで失われたかを調べました。その結果、直鼻猿類の共通祖先の系統で嗅覚受容体遺伝子の大規模な消失が起きたことが判明しました。直鼻猿類では、網膜裏の反射板であるタペータム(網膜の裏にある反射板で、夜行性の哺乳類の多くはタペータムを持つ)が失われるとともに、網膜に中心窩(ちゅうしんか)(網膜の中心にあるくぼみで、錐体細胞が密集し高精度の視力が可能になる)が形成され、高精度の視覚が実現したことが知られています。直鼻猿類の共通祖先の系統では、数百万年という比較的短い時間に嗅覚依存から視覚依存への移行が起きたと考えられており、嗅覚受容体遺伝子の消失もその過程の一環と考えられます。鼻の形の変化と共に、鼻腔に存在する嗅覚受容体数の変化も起きたのですね。 (by Mashi)


参考文献:Yoshihito Niimura, Atsushi Matsui, Kazushige Touhara. Acceleration of Olfactory Receptor Gene Loss in Primate Evolution: Possible Link to Anatomical Change in Sensory Systems and Dietary Transition. Molecular Biology and Evolution(2018).  doi.org/10.1093/molbev/msy042
コラム )
キツネザルとメガネザル(webio辞書より)
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